毎年この季節になるとさとなおさんが高野悦子の「二十歳の原点」の事を書いてくれる。だから僕も当時のことを思い出して毎年のように感傷に耽っている。
僕がこの本を読んだのは、大学受験がちょうど終わった18歳の初春の頃だったと思う。そう昭和50年の事だ。町田の久美堂という本屋さんの店先に山積みになっていた美しい単行本でその本を手にとった時の感触が未だに微かに残っている。当時この本の値段は650円。
貧乏だった当時の僕には高価な本だったので買うのに逡巡したのを覚えている。だけど思い切って購入した本は徹夜して一気に読み切ってしまったと思う。そして、思った、、、、、
京都に行こう! と。
幸い、京都には叔母が住んでいて京都大学百万遍近くのアパートに泊めて頂いた。僕の兄の大学時代の仲間が銀行員で京都に赴任していた事もあって僕が京都に行くというと大学の合格祝いも兼ねてご馳走してくれた。そして京都の街を連れ歩いてくれた。兄とは僕と7歳違いなので高野悦子と同じ年齢。当時必死に背伸びしていた自分は7歳年上の先輩達に同調してこの本に吸い込まれていったのだと思う。
そして京都に着いて2日目ぐらいの晩に僕は一人でジャズ喫茶「しぁんくれ〜る」に行った。今で言う聖地巡礼です。そして高野悦子が座っていたであろう席で彼女の魂を感じながらマイルスやビル・エバンスを聴き入ったのでした。
45年の歳月が経った今でもこの本を再読することは精神的にとてもきつく感じる。だから18歳の春以来再読する事はなかったけれど、何故か昨夜はベッドに横たわった時の目線の先にこの本があり45年ぶりにページを捲ってしまった。
旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう出発の日は雨が良い
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながらそして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう近代社会の臭いのするその煙を
古木よ おまえは何と感じるか原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう原始林の暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小船をうかべよう
衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう小船の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろうそしてただ笛を深い湖底に沈ませよう
ページを捲ると当時の青春の息吹のような感情が蘇ってくる。そして自分の挫折が死を選ぶことなくただただ自堕落な刹那の日々に明け暮れた事に溜息をつく。高野悦子のように純真な性格ではなかった事が幸いした自分ではあるが、このままのうのうと生きていて良いのだろうかと。
手にした本のカバーを初めて外してみると、こんなに美しい装丁の本が現れました。当時の出版社編集者の方々の著者高野悦子への熱い思いが感じられる美しい本でした。
梅雨のこの時期、村上春樹の「ノルウェイの森」と同じように再読して憂鬱の穴のどん底に陥ってみたいと思います。ひょっとしたら高野悦子は「ノルウェイの森」の中に隠れているかもしれないから。